物理的な成功の次に見えてくる、別の類の成功

先週のブログで2種類の成功の話をしました。

今日はその続きです。

周囲の目には触れにくい成功というのが
あります。
つまり個人的な思いや感情、
目標を到達したときに、
ああ、成功したな、と個人的に実感
するものです。
充足感や幸福感は、個人的なものなので
必ずしも表には現れないし、
周囲の人にも気が付かれないものが多いです。

今だから正直に言えますが、
僕もかつて若い頃、音楽家として
誰の目から見ても分かりやすい成功を
夢見ていた一人でした。
つまり、有名になってお金持ちになる、
というパターンです。

その理由の一つに、親戚中からの軽蔑がありました。
叔母たちからの「あなた、いったいいつになったら
大人になって、まっとうな仕事に就くのかしらねえ?」
という非難がましい声がいつでもついて回っていたのです。
これは20代の後半まで続きました。

そんなわけで、親戚中が集まっての食事は、
毎回悪夢でした。

そして、28歳ではじめてメルセデスSを買った時は、
親戚中の顔つきが変わりました。

自分を誇らしく感じました。
これが、僕なりの復讐だったのです。

しかし、昔、本でも書いたことがあるのですが、
ある時、このメルセデスで街中を走っていると、
犯人を追いかけている最中のパトカーに後ろから促され、
この車体では通れもしない細い路地を無理矢理突き
進まざるを得ない状況に陥りました。
警察は銃を手にして「はやくしろ!」と
けしかけてくるし、車は絶対通れるはずがないし。

しかし、警察の命令にこちらは選択の余地はなく、
そのまま車を直進させると、見事に車体の左側を
こすり大きな傷をつけてしまいました。

どうしようもないこちらの状況を見て、
警察は僕と車を放ったらかしにして、
さっさとUターンをして他の道を探しに走り去ってしまったのです。

傷ついた車と僕だけが残されました。

ちょうどその日は、ある大事なコンサートを
大成功させて日でした。
その時、高い車なんかよりもコンサートの成功の
ほうがはるかに大事なんだ、ということを心から実感しました。
車なんてしょせんただの鉄の塊で、それよりも
たった一つのコンサートの成功には、何年にもわたる
個人的な努力を要するものだからです。

そして、少しずつ僕の中での価値観が変化していきました。
お金をたくさん得て地位を獲得することが成功を意味しなくなり、
それよりも、人々に充足感や満足感を贈りたいと
思うようになっていったのです。人の心の中に残る何かを贈りたい、と。
こうして、僕の考え方が成熟していき、
やがてデュボワ・メソッドの基礎をなすことになるのです。

僕の個人的な体験を通じてお伝えしたかったことは、
あなた自身が満足したり充足感を感じたりする道を
見つけることが重要だ、ということです。
その道を通じて、あなたがどれだけ豊かな気持ちになれるか。
車の塗料のように、簡単に剥げてしまわないようなもの。

目につきやすい成功ばかりを追いかけてしまうと、
浅はかな心や弱い者の感心を集めるための
「あれ」や「これ」をかき集めることに人生が終始してしまいます。
しかし、その課程で見つけた何気ない小さなものを
見落とす可能性が高くなります。
もしかしたら、その小さなものが、実はのちのちに
大きく化ける鍵であるかもしれません。
そして、あなたの将来が大きく変わるきっかけだったかもしれません。

個人的には誰かを幸せな気持ちにすることができる
人をとても尊敬します。
そういう人をモデルにすることで、きっとあなたの人生も
良い方向に進み、ご自身で納得のいく成功が見つかると思います。

◆◆◆

【デュボワ・メソッド・ブログは、毎週木曜日更新】
◆◆◆

最新刊

『いつも、いい方向に人生が動く1%の人たち』



『デュボワ思考法』(ダイヤモンド社)

『日本人には教えなかった外国人トップのすごい仕事術』

成功のスピードと代償

一生のうちにできることは、少なくはないけれど、
物理的に無限大にあるわけでもないということに、
おおよその人が気がついています。

気をつけないと時間とともに健康だって損なうし、
そんなことからも、徐々に焦りが出てくるのかもしれません。

つまり、ついつい生き急いでしまうのです。

では人は急いで何を目指しているのか?
一つには成功があるでしょう。

成功にもいくつかのタイプがあると思います。
一つは、目に見えるような分かりやすいもの。
多くの人にとって「これは成功した証だ」と思われるようなステイタスや、
仕事の功績、スポーツでの賞取り、資産量、などのことです。
周囲の人からの賞賛を頂くと同時に、妬みも生まれます。
それもまた成功の一部として見なされるものでしょう。

そして、もう一つの成功は、目に見えにくいもの。
個人的な自信を勝ち得るもの、例えば、病気を克服した、
何かの習慣を変えることができたなど、
多くの人の目に触れることではなくとも、
自分にとっては確かな一歩で大事な進歩、というものがそうです。
例えば、人間関係への考え方を改めることに成功したことで、
人間関係から来ていたストレスから解放されて、
はるかに生きやすくなった、など。

今回は、前者の社会的に多くの人から
認められる成功についてからむお話です。
多くの人に認めてもらうというのは、
気持ちを鼓舞するインセンティブとして有効です。
子供の頃、プロの音楽家になろうと決めた当初は、
ステージの上ですばらしい演奏をしてたくさんの人の注目を浴び、
女の子にも大人気の自分を想像していました(笑)。
大人になって、実際に音楽家として歩み始め、
いわゆる「成功」はそれ相応の時間をかけてやってきたので、
突然、スポットライトを浴び始めたというものではありませんでした。
でも、当時の僕の興奮しやすい性格や浅はかだった様子を
思い起こすと、早すぎる成功はかえって自分を絶対ダメに
していたと思うので、ゆっくりペースで良かったのだと実感しています。
これは自分だけでなく、両親や周囲の親しい人も同じ考えだったりします。
僕にとっての成功は、少しずつ、不規則な形でやってきたのですが、
時折、前に進みながらも大きな落とし穴にもはまったりしていたので、
自分ではてっきり後退しているものだと思いこんでいたこともあります。

音楽の世界では、ありとあらゆる手を尽くして若くして
大成功した人をたくさん見てきています。
しかし、彼らが今でも生き残っているかというと、そうでもないのです。
いつの間にか姿を消してしまっている人が大勢います。
それは、マーケットから求められなくなった場合もあるし、
あるいは、本人がダメになっていったケースもあります。
成功すると、今までは知らなかった新しい要素が人生の中に入り込んで来ます。
そして、それらを柔軟に受け入れるたくましさを新たに求められます。
それらに対してかたくなになってしまうと、
だんだんと成功が手元から離れていってしまいます。
時間をかけて慣れて行こうと本人は思っていても、
実際は猛スピードで変革に慣れろ、と
人生の方から求めてくることが多々あります。

成功する・しないに大きく関係してくるものに、
人の心の持ちようもあります。

ある音楽家のAがいました。
彼はとても有力な家庭の生まれで、その支援のおかげもあり
早くに成功を収め、その業界でも「ナンバーワンの音楽家は彼だね」と
言われるようなポジションに若くして就きました。
とにかく、彼は雲の上のような存在として周囲から扱われていました。
ところがです。
ある時、Aのライバルのような存在の音楽家BがTVに現れました。
その時は、まだAとBがライバルだという認識はメディアにはありませんでした。

しかし、メディアはさっそく、新しいBという存在に飛びついたのです。
Aのことなど、すっかり放り出してしまいました。

それは、あっという間の出来事でした。

Aは、そのTV番組からまもなくてして、
完全に酩酊状態で僕に家のドアを叩きながら
「フランソワ!いるか~?俺だ。俺はBだ~!!」と、
自分のライバルの名前を叫んで泣いていたのです。

よっぽど、自分を完全に追い抜こうとしていたBになりたかったのでしょう。

あれから何年も経ち、友人Aはすっかり忘却の彼方へ。
一方のBは、今でもスターの位置にいてファンを裏切っていません。

早すぎる成功、成功してからの乗り切り方、泳ぎ続け方、
ライバルの出現、自分との葛藤など、道を極め続けるには
いつも新たな努力を要します。
それはどんな職業においても、まったく同じです。

成功したい!
成功さえすれば!

それはみんなが一度は口にする思いや言葉ですが、
実現しはじめると、成功した状態を
マネージし続けるのもまた一筋縄ではいかないというのが、
すぐに分かります。

◆◆◆【デュボワ・メソッド・ブログは、毎週木曜日更新】
◆◆◆

最新刊

『いつも、いい方向に人生が動く1%の人たち』



『デュボワ思考法』(ダイヤモンド社)

『日本人には教えなかった外国人トップのすごい仕事術』

子供の脳と教育

日本に住んで久しい自分ですが、とても気になる、年々ひどくなる悪習があります。

それは電車の中での10~12歳くらいの子供たちの行動です。
母親といっしょに駅のホームで電車を待ち、電車が到着して
ドアが開いたとたん、車内の空いている席に向って走りこむ子を
しょっちゅう見かけます。
母親はそのあとを何食わぬ顔で車内に入り、子供が座り、自分は立つ
というのが当然のような顔祖してそのまま子供の前に立ちます。

さらに、明らかに席を譲ったほうがいいご老人や、
障害者が車内に入って来ても、母親の目に入っていないか、
ひどい時は無視。
なので、子供に「譲りなさい」とも何とも言いません。
親がそういう態度を示していると、子供はそもそも
そのことに気がつきません。

このエピソードには、自分の子供を優先的に座らせてしまうことが
道義的におかしいと思う事よりも、もっと深刻な問題が潜んでいます。

何が深刻なのか分かりますか?
実は、子供の発達と将来に関わる問題なのです。

他人を差し置いて我が子をまず優先してしまう「親の身勝手」な態度は、
「あなたは自分の好きにしていいのよ。他の人のことは気にしなくていいから。
別に見なくてもいいわよ。」という暗黙のメッセージを子供に送っていることに
もなります。

以前、仕事の帰宅客で込み合う夜の車内に、5-6歳くらいの女の子が
ある駅で乗車するや否や、座席に向って走りこみ、結局空席が
見つからずに、泣きべそをかきながら
「空いてない!ずーるーいーーーー!!!」
と癇癪を起こし、そのまま後ろから乗って来た父親に抱きかかえられた
様子を見ていました。

しかし、その時に返した父親の返事が「ごめんね」という、
娘に対する詫びの言葉でした。

それは筋が違うのではないでしょうか?
車内の混雑は父親のせいではないのに、
なぜそこで彼が子供に謝らなくてはいけないのか?

それくらいの年齢の疲れている子供にとって、
車内で座れないというのは確かに泣きたくなるくらい
厳しい環境かもしれません。
しかし、あの父親のリアクションでは子供に対して
「君がまず先に座るのは当然の権利で、
それができないのは父親の責任だ」
というメッセージを送ってしまうことになるのです。

子供がそのまま大きくなってしまったらどうなるのか?
履き違えた理屈で物事を捉えるようになって
社会生活中で、他人とのさらなる交流を深める中で
どうやって他人に健全な好奇心や興味を示すことが
促されるのでしょうか?
どうやってコミュニケーションを図っていくのでしょうか?
さらに仕事などに興味を示すことができるのでしょうか?
その子の居心地の良さが最優先された教育では
自分以外の、他人の存在を気にかける心が抜け
落ちてしまう可能性が高いからです。

実は思春期以前の子供の脳は、外部からの情報次第で
その発達が決まります。
そして脳細胞の余剰状態を防ぐために、使わなくなったニューロンは
破壊されていきます。
つまり、この頃の外部からの情報は非常に重要になってくるのです。
子供の脳について詳しい神経学者で精神科医のJay Giedd医師
(国立心療研究所、ベテスダ、メリーランド州)によると、
この頃、一年のうちに特定の脳の灰色細胞の最大40%が破壊されるとのこと。

つまり、これくらいの年齢の子供たちの脳の発育に留意しながら、
特に社会の中での仕組みや共同生活のルールを教え
好奇心や興味を通じて社会生活に馴染む大人になれるように
道を示してやらなくてはいけないのです。

脳の発達という大袈裟な話をしなくとも、
基本的に小さい子供は体力がまだまだ大人に比べて足りません。
だからこそ鍛えていくべきなので、電車の中でも立っていられる年齢に達したら
むしろ立つことを奨励するべきだと思います。

そうでないと、体力も無い、しかも他人には興味も関心もない、
無い無い尽くしの大人であふれてしまいます。

将来、そんな悲しい日本社会にはなって欲しくないものです。

未来を背負う子供たちを、正しく鍛えるのがわれわれ大人の務めですね。
◆◆◆

【デュボワ・メソッド・ブログは、毎週木曜日更新】

 ◆◆◆

『デュボワ・メソッド・スクール』

⇒ ベーシック27期募集中:17日(金)で締め切り!

◆◆◆

最新刊

『いつも、いい方向に人生が動く1%の人たち』



『デュボワ思考法』(ダイヤモンド社)

『日本人には教えなかった外国人トップのすごい仕事術』