先週、ある手紙が中国の武術学院(武当山)から届きました。
まさかこんなものを受け取るとは、夢にも思わなかったような内容です。
その内容の話をする前に、この1年半の間、自分がたどってきた道と
成長の話をしてみたいと思います。
日本の師匠である相良先生のもとで何年にもわたって
中国武術を師事したのですが、ある時期に内家拳の理解と習得に
集中するために武当山に行きたい旨を相談したところ、
快く承諾してくれました。
相良先生は、デュボワ・メソッドの開発協力者でもいらっしゃる方です。
そして、いざ中国に行ってハードな修行ができるような
素地をきちんと作り上げておきたい思いで、08年の1月から
個人稽古をつけてもらうようになったのです。
出発までの限られた時間の中で
相良先生には最大限のサポートをして頂き、
みっちりと訓練をさせてもらいました。
おかげで、個人稽古での上達は
自分でも良く分かるくらいすごいものがありました。
そうして、みなさんもご存知のように武当山に行きました。
個人稽古がなければ、きっと武当山での稽古もついていなかっただろう、
と感じています。
向こうで生活をしながら稽古にはげむので、
精神的な上下や、怪我、モチベースションの低下など
様座な問題が襲ってきました。
でも、つらい経験であればあるほど、
自分の天井や視点を押し広げてくれるものですね。
振り返ってみるとそういう働きをしてくれたトラブルは
たくさんあることに気がつきます。
さて、日本に戻ってからは、
武当山武術を少しでも知りたいと
メソッド受講生などから請われ、
今度は自分が教える立場に回りはじめました。
しかし、日曜の朝に稽古をしていると、ひざの故障のせいで
動きが思い通りにできないフラストレーションズを心に抱えて
悶々とする日々でした。
そして、少しずつ足もよくなってきたな?という時期に冒頭で話した
びっくりするような手紙が届いたのです。
そこには、我々のおこなっている稽古会の組織を
「武当道教功夫学院 東京分院」として正式に認める、ということと、
東京分院の代表として、僕に正式な肩書きを出すということが
書かれていました。
肩書きは「武当三豊派第十六代初代国際弟子」です。
一六代というのは、現在の武術学院を創設された大師匠が
三豊派の一六代目になります。
そして彼の存命中は、すべての弟子の系統に認められた者は
「第一六代」の肩書きがつくのです。
そして、僕もその流れに正式に認められた、ということになります。
これは、ものすごく責任重大なことです。。。
ことの重大さもあり、さっそく、相良先生にも相談し
第一六代としてしばらく武当山武術に集中する、という旨をお伝えし、
相良先生の道場は正式にお休みをすることになりました。
これからは、中国に行かない限り、一人で稽古を続けることになります。
これもまた自分にとっては大きな試練です。
この先、またどのような展開になっていくのでしょうか?
本当に未来のことは予測がしにくいものです。
一つだけ言えることは、中国から帰国して
いよいよ僕にとって、また新しいステージがまたやってきたということです。
この先の展開を見守っていてください。
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フランソワ デュボワ。
東京在住。
作曲家・マリンバソリストと、キャリア教育の仕事をしています。