音楽

『東京在住の天才アーティスト フランソワ・デュボワ氏に本音でぶつかるインタビュー』

本音で語るインタビュー記事が出ました。

記事の画像を下記に貼っておきますが、さらに読みやすいように、テキストを画像の下に貼っておきます。

フランソワ・デュボワのざっくりとした輪郭が見えてくる記事になっていると思います。

東京在住の天才アーティスト フランソワ・デュボワ氏に本音でぶつかるインタビュー。天才の発想と行動力は驚きの連続であると同時に、どこかすべて腑に落ちる、不思議な説得力に満ちたお話でした。

記者(記):フランソワさん、こんにちは。本日は、東京のご自宅の書斎にお招き頂き、ありがとうございます。

フランソワ・デュボワ(フ):ようこそいらっしゃいました。

記:さっそくですが、フランソワさんはヨーロッパで素晴らしいソリストのキャリアを築き上げられた後、1998年に来日されます。その後ほどなくして、日本でも活躍し始めますね。もともと日本で外国人が活躍するのは非常にハードルが高く、まして当時は今よりも閉じられたマーケットでご苦労も多々あったかと思うのですが、NHKで特集されるなど数々のテレビ出演や、東京国際フォーラムや他でのコンサートなどをこなされています。さらには、ソフィア・コッポラ監督のアカデミー受賞作品『ロスト・イン・トランスレーション』でスカーレット・ヨハンソンやビル・マーレイと、ピアニスト役で共演するなど、目まぐるしい展開が待ち受けていました。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこういう事!と思える活躍のさなか、2000年の半ば頃に突然、音楽業界から姿を消しました。一体、何があったのでしょうか?

フ:単純に、もっと他の事がやりたくなったんです。成長したい欲が強く出てきて、新しい表現方法を模索したかったんです。当時、教鞭を執っていた慶應義塾大学で『デュボワ・メソッド®』というキャリア・マネジメントの独自メソッドを開発して、2005年から本も出すようになって、多い時は年に3冊も出したりしました。今でも本を書くことはすごく好きで、この頃からずっと続けている素晴らしい仕事の一つです。

記:でも、当時は音楽への情熱も含めて、それらすべての活動を脇に置いてまで、別の事を?

フ:自己表現できる域に達すると、それが音楽以外の手段になっても結局は根底では同じなので、特に欠乏感は生まれないものなんです。むしろ表現手段が増えて、より表現の完成度が高まります。少なくとも、私の場合はそうでした。

記:でも、しつこいようですが、オーディエンスとの交流とかは恋しくはなかった?

フ:ソリストとしては多少はありましたが、実を言うと、本を書くというのは作曲とあんまり変わらないんです。ほとんどの時間が、パソコンや真っ白な紙の前に、一人でいることで占められているわけですから。

いずれにしても、来日する前にすでにトップレベルまでソリストのキャリアを築き上げていたし、やり切った感があって、それ以上同じところにいても堂々巡りをくり返すようで、そこからは距離を置こうと決めていたんです。

記:なるほど。『ファイナンシャル・タイムズ』のあなたのインタビュー記事を読んだんですが、それによると、教鞭を執っていた慶應義塾大学でキャリア・マネジメントのメソッドを創られたとか。芸術界から、どうやってそんなお堅いビジネス界へと転身したんですか?

フ:まず始めに言及しておくと、メソッドの中身は私が開発したものですが、『デュボワ・メソッド®』の名称をつけたのはグロ―ビス創業者の堀義人さんなんですよ。メソッドが誕生したきっかけは、慶応の作曲クラスで受け持っていた学生達が、将来の仕事を決める時にみんな困惑していて、何が向いているのかやりたいのか分からない、となっているのを見たからなんです。学生の話をちゃんと聞いてあげると、そもそも、日本では大学の専攻と就職するポストが一致しないというちぐはぐが起こる事にも驚きましたしね。

音楽のソリストとして熾烈な競争を生き残るために、私は相当若いうちから世の中の仕組みを覚えざるを得なかったし、強みを自覚して目いっぱい駆使する経験をしてきた事もあって、この経験とスキルを学生に役立てる事ができるだろうと思ったのが、そもそものきっかけです。カリキュラムを作り上げて大学のトップに直談判したら、講座開講まで一気に展開していきました。開講したとたん大人気で、そこからどんどんメソッドのコンテンツが増えていったんです。

はじめは学内の学生向けだったのが、他大学にまで飛び火して、さらには大学を飛び出して社会人向けに発展、今度はトップエグゼクティブやCEO候補の育成、アントレプレナーシップにまで、どんどんコンテンツが成熟していきました。

細かいステップは割愛しましたが、だいたいの流れはこんな感じです。

記:それにしてもコンテンツのさらなる充実まで図ったりと、こんなに長い時間アートの世界から離れてメソッドに従事されるとは驚きです。

フ:誤解しないで頂きたいのですが、実を言うと、メソッドの中身は芸術的認知力と非常に深く関わっているんですよ。だからこそ、他のどのキャリアメソッドにも似ておらず、高い独自性を確立しているとも言えます。

記:キャリア・メソッドも当たりましたね。実際、様々な企業で採用されましたし、書籍も数多く出て、売れています。そうこうしている内にリーマンショックがあり、突然、中国の奥地武当山に引っ込んでカンフー修行に入ってしまいますが、これまた一体何があったんですか?!あまりの展開に、ついていけません(笑)

フ:ははは(笑)こうして言われると、リーマンショックのせいで日本を逃げ出したみたいに聞こえますが、全然違います。私の修行の旅は、一年かけて着々と準備をしていたんです。デュボワ・メソッド®の代講は私のチームに引き継いでもらえるようにちゃんと準備をして、何も困らないように用意周到にして中国に旅立ったんです。

記:そうだったんですね。だけど、日本で色々と順調に成功しようとしていた時期に、なぜわざわざ現場を離れるような事をしたんですか?来日直後にすぐに音楽分野で活躍しだして、さらにデュボワ・メソッド®を世に出したら本も一緒に出て、企業からどんどん声がかかって、これからさらに名声を確立しようとしている時に、普通なら国を出ません(笑)理解不能です。

フ:あのですね、たった3年のうちに気がつけば、一気に9冊出版したんですよ。その間、何百というセミナーもこなして、単純に疲れていたんです。空っぽになってしまって、自分自身に立ち返る必要がありました。身体はひとつしかありませんから。

記:カンフーは、初めての経験だったんですか?そもそも、なぜカンフーという選択肢だったんでしょうか。インドでヨガ修行に出るとか、色々と選択肢はあったと思うのですが。

フ:カンフーと太極拳は、中国に修行に行く前から何年も日本で稽古をしていました。だから武当山(注:道教武術の中心地)という目的地は、すでに自分の中で随分前から惹かれていた場所だったんです。

とにかく、今の仕事や環境から自分をスパッと切り離す必要があって、そしてそこに行けばすべての源に出会えるのではないか、何よりも自分自身と向き合えるのではないかという希望を持ったんです。

記:壮大な計画ですね。それで、うまくいったんですか?

フ:正直に言うと、身体的にあまりにも修行内容が濃くて難しくて、何度も途中で投げ出そうとしました。けど、結局は踏みとどまって、結果的に私にとってはうまくいったと思います。そうですね、まるで第二の人生を得たような感覚です。

記:第二の人生ですか、信じられない・・・。この経験を、他にもどんな言葉で表現できますか?

フ:うーん。人生の様々な出来事と、適度に距離を置けるようになれたかな。

記:日常に戻るのに苦労はなかったんですか?

フ:いやあ、それはそれは大変でしたよ!大都市のリズムに再び慣れるまで、数ヶ月かかりました。この中国での修行記が講談社から本になったんですが、その中で失敗話や自信崩壊の話、それと手にした貴重な物事や心持ちなどについて、包み隠さず書いています。

記:確かにこの本は、読んでいて引き込まれました。せっかくなので、記事の最後にもリンクを貼っておきます。この衝撃的な経験をしたあと、14年前に太極拳教室の WIMA(Wudang Internal Martial Arts = 武当内家拳教室)が開かれましたね。それについては、いかがですか?

フ:はい、とても良い教室になっていて、先生も何人か育っています。

記:音楽だけに専念していた時期が、非常に遠いものになりましたね。活動分野を見ていると、もう完全に音楽は辞めたのかなと思われてもおかしくない時に、突如『dive into silence 』というダブルアルバムを、日本コロムビアから2014年に出しましたね!このショッキングなカムバックは、一体どういう風の吹きまわしからでしょうか?

フ:滝口康道さんという僧侶との出会いがきっかけでした。彼は私の中国武術のお弟子さんで、ある時、瞑想状態へ導くための音楽を創ろうという話になったんです。世の中は、電気的な人工音響で構成された電子の瞑想用音楽に溢れかえっている事への、我々からの応えのようなものでしょうか。

記:あなたのお話を伺っていると、サプライズだらけですね(笑)

そのあとバリ島でインスパイアされたアルバム『Gunung Kawi』、天狗の棲む森をテーマにした『La légende de la forêt 』とつづきます。マリンバCD史上最多売上の世界記録(80,300枚)もお持ちだそうですね。凄いです!そして、アフリカの長編映画の曲も書かれました。八面六臂の活躍じゃないですか?

フ:昔ながらの人と人のアナログな出会いに加えて、今はデジタルコミュニケーションもスムーズなので、それらを掛け合わせたハイブリッドな形で世界中のどことでも一緒にコラボレーションが可能になりましたよね。

記:そう言えば、近著二冊がベストセラーになっていますね。こちらはサイエンス系の新書という、これまた新しい分野へのチャレンジでしたね。

では、このインタビューの最後にぜひともお伺いしたいのですが、次のステップは何でしょうか?月への旅行とか?(笑)

フ:え、何でわかったんですか?いや、冗談です(笑)

今は新しいアルバムを書き上げているのと並行して、私のこれまでの経験と洞察で気づいた大切なことを、アーティストの感性で言語化した新しい本にも取り掛かっています。

その他にも準備中のプロジェクトもありますが、まだここでは言えないです。

記:それは待ち遠しいですね。

フランソワさん、本日は本当にありがとうございました。引き続きのご活躍を楽しみに、心から応援しています!

フ:こちらこそ、ありがとうございます。

(インタビュー:S. S a i t o)

インタビューに登場した著書:

『太極拳が教えてくれた人生の宝物―中国・武当山90日間修行の記』(講談社文庫)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205775

『作曲の科学』(講談社ブルーバックス)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000275678

『楽器の科学』(講談社ブルーバックス)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000360286

フランソワ・デュボワ公式HP

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